「その痛みはあなただけのもの」

親と子のあいだの私(体験雑記)

夫の転勤でアメリカで2年間暮らした。

英語は苦手だったけど一生日本から出なければ勝ち、くらいに思っていた私が海外生活をするなんて、数奇で皮肉なもんだ。

赤ちゃんだった上の子を帯同しての海外だったから、受診や検診の時本当に助かったのが日本語通訳さんのサポートだった。街を歩いていてもほとんど日本人に出くわさない地域だったから、受診にかこつけて日本語でおしゃべりができる時間も貴重だったしね。

周りに比較対象の子どもがいないので、発達がゆっくりでもおおらかに捉えることができたし、

検診の時に「なかなか子どもがトイレに行きたがらない」と相談したときも、医師は「問題ない。おむつなんて高校生になるまでには外れるわよ」とユーモラスに励ましてくれて救われた。

アメリカで第二子を妊娠した。後期検診の時、すでに10キロも太っていたのに「あなたちゃんと食べているの?もっと肉を食べなさいね」と言われたときはびっくらしたけれど。

下の子が生まれた。

閉じこもりがちな生活が加速した。まだまだ赤ちゃんの上の子と、新生児。思えば産後うつ傾向が強かったと思う。

検診の時、一生懸命言葉を紡ぎ出して訴えた。

感情が不安定で喜びが少ない不安な生活である。とてもネガティブな気持ちであること。

看護師さんはにっこり笑って言った、

「イッツノーマル」って。

私はその言葉に強烈な違和感をおぼえた。

全然ノーマルなんかじゃない。
こんなに辛いのに。

なんだか腹が立って、その後悲しくなった。

この辛さが当たり前で片付くことなのか、って。

後になって知ったけど、アメリカでは「あなただけじゃないよ、1人じゃないよ、みんな同じ」と安心させることが慰めになることも多いらしく、決して私の絞り出した苦しみを軽んじた言葉ではないということ。

でも私たち日本人の多くは、辛いとき「みんなそうだよ」って言われるの、好きじゃない気がする。

「わかる」って言葉もね。

そんなことがあったんだ、そんな気持ちなんだ、
辛いね、悲しいね、って個別化してほしい。

辛さも悲しみもみんな違う。


「わかるわけがない」というのは、私が1番大切にしている視点。

人間はみんな違う。その人だけの痛みを持っている。

例えば同じように虐待された子でも傷つき方は全然違うように。

心、体、脳、魂。その痛みはあなただけのもの。
それぞれが持つそれぞれの人生の固有の痛みがある。

わかるわけがないからこそ、言葉を交わし、同じ空間に身を置き、
全身でそれを感じ取ることで、一生懸命想像する。
相手の痛みを。

言葉を尽くして説明する。
自分の痛みを。

その作業は、とてつもなく途方もなく大変。

自分と思考のチャンネルが似通っていればまだしも、
全然違う環境で育ってきた相手に、
言葉を媒体に自分のことを理解してもらうのって、
宇宙人とのコミュニケーションぐらい大変だと思う。

人間はすべてわかり合う事は決してできない。決して。

どんなに時を共にしようと。家族だろうが、親子だろうが、それは同じ。

私はそう思っている。

でもそれは絶望しているっていうことじゃない。
わかりあえなくて失望する時もある。

だけど、それでも誰かに理解してもらうこと、寄り添ってもらうことの喜び、
人との間でしか得られない幸せを知っているから、
誰かに理解してもらうことを手放すことができない。

だから、今日も努力して言葉を探す。

そしてその途方もない努力を通して、誰かと少しでも心が通じ合えたという瞬間が得られたとき。
心がほわんとあったかくなり、ああうれしいな幸せだなぁって思うんだよ、私の場合。

分かり合えないことを知っているからこそ
誰かのいたみに触れるときは、大切にしたいと願う。

その痛みは私だけのもの、その痛みはあなただけのもの。

この記事を書いた人

社会福祉士資格を保有。

高齢者分野の相談員として勤務しながら
制度や支援の現場に関わっています。

家族の病気体験を中心に、
当事者としての経験と、支援職としての視点の両方から
わかりやすく情報をお届けします。

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