私は、父の手術の知らせを受けて新幹線で帰省した。
新幹線の中で、父の病院から徒歩で行けるビジネスホテルを何泊かおさえた。
当時はまだ私に子供がいなかったから、
お休みする職場に頭を下げたあとは身軽に動くことができたんだっけ。
もう15年近く前のことなので、記憶も曖昧だ。
心臓の手術はとても長く感じて、心細そうに待合室に座る母が、すごく小さく見えた。
無事手術は終わったことが告げられ、父はまだ眠っている。
今日はICUでみますから一旦帰宅してくださいって言われたんだっけ。
少し目が覚めるまで付き添っていたんだっけ。
とにかく父の無事に安堵した。
帰宅途中、食べることを忘れている母を誘って、目に入った中華屋に入った。
お客は誰もいなくてちょっと薄暗い店内。
うわ、お店のチョイス完全に間違えたな、と思った。
でも運ばれてきた定食を口にすると、
母は「ああ、あったかい」と言って、やっと少し頰を緩めた。
季節は夏だったのに、
不安で冷え切っていた母の手と、
中華のあったかい湯気は今も鮮明に思い出す。
その日は、1人にしておいたらなんだか
母がどうにかなってしまいそうな気がして、
実家について行き父のベッドを借りて母の横で寝た。
次の日からは、
病室で夜間家族が付き添ってくださいって言われたんだよね。
3、4日くらいだった。
私は何日かしたら帰らなきゃいけないけど、
お母さんは長丁場になるから体力を回復させておかないと、と説得して、
私が泊まり込みをさせてもらった。
日中の時間を見つけて
ビジネスホテルの部屋にシャワーだけ入りに行って、また病室に戻る。
部屋をおさえておいたおかげで快適だった。
お手伝いといっても、看護師さんが持ってきてくれるタオルで体を拭くのを手伝ったり、
夜中は、痛みだったり、汗をかいて着替えたいと言ったり、
父が教えてくれる不具合に対して
その都度少し手伝ったりする程度で。
何日目の夜だったかな、ポツリと父が言った。
こんなことになって、ごめんね。急なことでびっくりさせたでしょう。悪かった。
どうしたの、心配するのは当然だよ、って答えたけど
父は懺悔のように続けた。
もうね、何十年も前から。
たまにキューって心臓が苦しくなってたんだ。
しばらくすると良くなって、またたまにキューってなって。
これは狭心症かもしれないって
自分の体の事だからわかってたんだけど。
昔いのりたちが小さい頃は
ちゃんと健康診断も行ってたんだけど、
ここしばらくは行かなくなっちゃってて。
お母さんも知ってたし、2人とも
病院に行かなきゃいけないってことはわかってたんだけど、
まだ大丈夫、まだ大丈夫って
放っておいてしまって。
最近苦しくなる頻度が多くなって、
いよいよかなぁって思ってたら
緊急手術になってしまった。
お父さん、怖がりだから。
ごめんな。
病院に行ったら何か見つかるってわかってたから、怖くてなかなか行けなくて。
ほんとに怖がりで情けない。
いのりにも沢山心配かけてごめんね、
って。
私はその時は若くてぴんとこなかった。
父はそんなに検査や治療が怖かったのかなあって。
早めだったら、投薬で良くなってたかもしれないのに、
先延ばしにして手術にまでなってしまって、
そっちの方がよっぽど怖かっただろうに。
私は自分の体に悪いところがある方が怖いから
ちょっとでも変だと思ったら
すぐ検査受けたくなるタイプだし、
検査するのが怖い、っていう感覚は
正直しっくり来なかった。
でも、あれから何年も経って、気づいた。
あの時父が言っていた怖さの正体は、
治療が必要になって働けなくなってしまうことへの恐怖だったんだなって。
自営業だった父。
働いてくれている従業員さんの生活もあって、
当時は母、祖母、弟私全員の生活があって、
それが父の腕1本にかかっていた。
もうちょっと、まだ大丈夫、って、
自分のことをあと伸ばしにさせちゃったんだなぁって。
全然こっちこそごめんじゃんよ。
お父さん自身の大事な体のことを
優先させてあげられない環境を作ってしまって、
みんなして甘えて頼ってしまって
本当にごめんね。
だいぶ時が流れた。
冠動脈バイパス手術後の経過も順調で、
無事に10年が過ぎた。
母と話していて、ふとあの中華屋のことをおもいだして調べたけど、
もうずいぶん前に廃業したみたいだった。
今私は2人の子供を育てているけど、
いまあの時の父の立場になったとしたら、
たぶん早めに検査に行くと思う。
父の後悔を知っているから。
命や体より大事なものがあるわけない、って誰もが知っているはずなのに、
大事だからって優先できないこともある矛盾。
でも、そんな矛盾がすこしでも世の中から無くなるといいな。


