はじまりの日 ステージⅣの告知を受けた週末に、父と話したこと

病気の記録

新幹線の車窓を眺めながら、私は父にかける言葉を探していた。
見慣れた風景が流れてくると、ふるさとが近づいてくるのを感じる。
多分、この時心にあったのは、心配というよりも焦燥感に近い感情。

確定診断の日の午後は長かった。

きっと大丈夫。祈るように母からの連絡を待っていたけれど、
告げられた結果はステージⅣ。

長い長い検査と待ち時間の苦悩を越えてようやく確定診断の日を迎えたのに。

「かもしれない」と言う漠然とした不安の霧が、「逃げられない現実」というもっと大きな黒い塊になってのしかかってきた。

なんで父が。

父はどんなにか気落ちしているだろう。
どんなにか心が痛んでいるだろう。

それを考えるといても立ってもいられず、すぐに会いに行きたかった。行って何ができるわけでもないけれど。

でも、私は娘であり親であるので、子どもたちのお世話を放って行くわけにもいかない。夫の協力を得て、週末に日帰りで帰省することにした。

朝一番の新幹線で向かって、子供の夕飯に間に合う夕方には帰れるように。

母からはメールが来た。

「こちらは大丈夫なので、いつも通り生活してください。自分の家族や子どものことを優先してください。」

私の性格をよく知っているので、釘を刺しておかないと飛んでくると思っているんだ。

母からは暗に来なくていいと言われたけれど、結局私は帰省させてもらうことにした。

これは完全に自分のエゴで、自分のために父に会いたいと思ったから。「週末、日帰りで帰らせてください」とお願いした。

朝の空気の残る地元の駅に降り立つ。
父に聞きたいことがたくさんある。私は、肩で空気を切って歩いた。

玄関のドアが開くと、父と母が迎えてくれた。

「遠いところありがとうね。さあ、上がって」
多分、一生懸命作ってくれていたと思う、笑顔で。

きっとたくさんの感情があったはずなのに、私の前では父親の顔で待っていてくれた。

「朝ごはんこれからなの。一緒に食べるでしょ?」
母が聞いてくれて、3人で食卓を囲む。

私が口を開くと、少し父と母が身構える空気がした。


まずは、現状の確認。

電話やメールで聞いていた内容と自分の認識とにずれがないか。

ステージⅣと診断されたけれど、手の施しようのない末期という意味ではなく、

がんが遠隔転移している状況だということ。

ホルモン療法が効けば、長い人は、何十年もがんが抑えられて、長生きして、寿命のほうが早かった、なんて人もいること。



そして、次に、聞く。

お父さんが、どうしたいか。
一番大切にしたいこと、
生活の形、これからしたいことについて。

お母さんと2人、穏やかな暮らしをしていきたい。

自分のことはなるべく自立してできるようにしたい。

できる限り、仕事も続けて張り合いにしたい。

食生活は、これまで通り我慢ばかりでなく、美味しいものを楽しみながら、健康にも気をつけていきたい。

体力が戻ったら孫の運動会を見に行ったり、旅行したりしたい。



必要なこと、不安なこと、病院の付き添いについて。

自由診療や、セカンドオピニオンは考えていない。

治療が中心になってあちこち周るより、いまの治療をしっかりやりながら、穏やかな暮らしを優先させたい。

延命治療はしない。

いよいよ手が尽きたとなったら、最期は痛みを取って穏やかに過ごしたい。

今のところ、通院の付き添いは大丈夫。必要になったらその時お願いします。

お父さんが居なくなった後のお母さんのことは、心配している。



病気のことを誰にどこまで話したいか。

子ども(弟と私)たちまで。

父のきょうだいにも、今のところ言うつもりはない。

孫には今のところまだ、言わないつもり。おじいちゃんは年をとってきて疲れやすい、と伝えていきたい。



コロナや感染症のリスクはあるが、孫との交流を続けて良いか

帰省前にコロナ検査までしなくて大丈夫。お互い気をつけて積極的に交流したい。

父は、私の問いに、逃げずにまっすぐ答えてくれた。

とても静かで、でもはっきりとした言葉だった。

父は強いな。どう生きるかを自分で選んでいる。

私は言った。

教えてくれてありがとう。
家族として知りたい大事なことなのに、
タイミングを逃したらきっと聞けなくなってしまう。

だから、最初の日に、
どうしてもわたしは娘として父にそれを聞きたかった。
診断後のタイミングで負担をかけてごめんね。

そして
もちろん、今日時点でのお父さんの意見だから、
いつでも変わって大丈夫だし、変わったらできればまた教えてほしい。

と添えた。



最後に、私の思いを伝えた。

いつかは、と分かってはいても、
まだ先と思っていたから、
お父さんの大病にショックと戸惑いがある。

でも、いまは治療の効果が出ることを願い、信じている。

長く病気と付き合っていかざるを得ないからこそ、「治ったら」「落ち着いたら」と先延ばしにせず、お父さんがやりたいと思うことは、どんどんやっていきたい。

そのためのお手伝いは可能な限りしたい。

人間である以上、病気があってもなくても、
お互いに限りある時間だってことは、当たり前のことなんだけど。

今回の病気を機に、それがよりはっきりわかったことで、
今できること、楽しめることを
一緒に考えられる時間ができるという事は、
私にとってありがたいと思う。

私はお嫁に出た立場だけど、家族であることに変わりはないから、
一緒に生きていきたい。

これからも、限りある時間を
たくさん素敵な思い出を作っていきたいと思う。
よろしくお願いします。

それから、私が「1人で帰省する」というと
身構えるだろうけど、
距離はあるけれど、用事の有無にかかわらず、
また、気軽におしゃべりに帰らせてください。


父と握手をして、

そして、別れ際に何十年ぶりかにハグをした。


昔から泣き虫の父と私は、
潰れた目玉焼きみたいに涙でぐずぐずの目になって
「またね」と言って別れた。



この日は「はじまり」。

家族として覚悟と未来を共有した日。

だからきっと、
この日がなければ、父の闘病の記録は書けなかったと思う。

診断までの長い時間、私の日常生活は、ほとんど心ここにあらずだった。
私自身が日常や子どもとの生活を大事にするためにも、
父とこうして顔を合わせて対話する時間がどうしても必要だった。


静かな覚悟が生まれた。

私は無力だ。
だけど、何もできないわけじゃない。

予後を調べまくっても正解は書いてない。
治療がうまくいくことだけ願い、祈る。
今は楽しい思い出をたくさん作る。
やりたいことをどんどんやる。


私は家族と離れて暮らしている。

でも確かに、一緒に生きているんだ。

帰りの新幹線の車窓を眺めながら、私の心は温かい気持ちで満ちていた。



追記

この会話は、特別なことではないのかもしれません。

最近知りましたが、このような話し合いを「人生会議(ACP)」と言う形で実現している方たちもいるようです。

でも実際には、
• 怖くて聞けない
• 縁起でもないと思ってしまう
• まだ早いと先延ばしにする

そういう理由で、話せないままになることも多く、

そして本当に必要なときには、
• 本人が話せない
• 意識がない
• 家族が迷う

そんな状況になることも多いようです。

父はあの週末のあと、

父は治療を続け、
リハビリを始め、
また旅行にも行けるようになりました。

もし、この記事を読んでくださった方で
同じようにご両親や大切な方と
これからの生き方の話をしたいと思っている方がいたら。

完璧な言葉じゃなくていい。
どんな形であっても良いので、

その人が何を大切にしているかを共有できれば。

それだけでも、
その先の時間が少し変わるかもしれません。



タイトルとURLをコピーしました