迎え火の夜

親と子のあいだの私(体験雑記)

コロナ禍が明けて
田舎に住む父母との交流が再開したのと、ほぼ同時に父のがんが見つかった。

その年のお盆のことを、時々思い出す。


その頃、私は父の生活を心配し、リハビリを探していた。でも、なかなかニーズに合うものがなく難航していた。

夫は私に言った。

「じいじの年齢で辛い運動を始めるのは大変だと思うよ。
久しぶりに会ったとき、最初は歳を取った印象だったけど、何日か孫たちと接しているうちに表情も明るくなって若返っていたし、
心なしか姿勢もシャキッとしていたし。

なるべく孫をたくさん連れて帰ってあげるのが
1番のリハビリじゃない?孫リハだよ。」

お世話をされる側ではなく、する側になることで心身が引き締まる、
それは確かに孫リハと言われればその通りだ。

孫たちが一斉に帰った後の父母の疲労感や喪失感も気掛かりではあったけれど。


その頃はまだ子どもも小さく学校や幼稚園の休みの都合がつきやすかったので、
なるべく連休を見つけては子どもと帰省していた。

夏休みのこと。
子どもたちに日本の季節行事を知って欲しくて、お盆を体験させてほしいと父母にお願いした。

夫は次男で自宅には仏壇もないし、
おまけに子どもが通っていたのは、キリスト教の幼稚園。

馴染みのない世界だった。


茄子やきゅうりでお馬を作り、
粉だらけの小さい手でお団子を丸めて。

ひとつひとつ教えながら、一緒に提灯を組み立てる。

父も母も楽しそうだった。

子どもたちはお坊さんのあげるお経が鮮烈だったようで、しばらく真似していた。

この頃父は正座が辛くて、正座補助椅子を使いはじめていたっけ。



暑い日差しの中、みんなでお墓参りに行った。

お墓参りは各家庭ごとに少しずつスタイルが違ってことは、結婚するまで知らなかった。

父方の祖父は、六十はじめで亡くなったらしく、私は顔も知らない。

でも父は昔からお墓参りの度に、
「おじいちゃんの背中を流すんだよ」と言って丁寧にタオルで墓石をこすっていた。

毎晩食事の前には祖父たちの写真の前で手を合わせ、「今日も1日家族を守ってくれてありがとう」と言っていた。

だから私にとっては会ったことがなくて死んだ人なんだけど、

生きていた人で、父の大切な父、なんだってことが子供心にも分かった。

私自身は、宗教的な信心は無いけど、
ご先祖様を大事にする背中は、父から教わった。

脈々と続いてきた命のつながりや
人知の及ばない今日一日の生に感謝する。

とても素敵なことだな、と思う。



少し曲がった腰で一生懸命墓石をこする父の手は、普段より心なしか少ししゃきっとしていて、力強かった。




夕暮れの名残りがある19時ごろ、家の前で迎え火を焚く。

蚊取り線香の香り、
木がはぜる音とゆらめく炎。

今も昔も、不思議な気持ちになる静かな時間。

みんな、なんとなく無口になって火を眺める。

子どもたちも、この光景を大人になってから思い出すことがあるのだろうか。


いつか父も母もご先祖になる。

きっと、まだ子どもたちは想像もつかない。



母方の祖父が亡くなったのは私が小1の頃。
身近な人が亡くなるのは初めてだった。

死が怖くて眠れなかった夜、
起きてきたら居間で母が泣いていた記憶が残っている。

あれから、私にもずいぶん時が流れたような気もするし、
あの頃からあんまり成長していない気もするし。



あのお盆から3年経った。
もうすぐ夏。今年のお盆もまたみんなでお墓参りに行けたらいいな、と願う。

父は最近ネットで買った「椅子になる杖」を持ってお墓に行くらしい。便利なものが増えた。



この前ふと下の娘が言った。

「ご先祖様って、天国から見守ってくれている、
ひぃひぃひぃひぃおじいちゃんやおばあちゃんのことだよね?

この前かかったインフルエンザも、大変な病気だったけど、無事元気になれたのは見守ってもらってるおかげかもね。

ありがとう。ひぃひぃひぃひぃおじいちゃんおばあちゃん。」


娘は無垢な瞳で空を見上げ手を合わせた。


私は全力でツッコミをいれる。
「いやいや、ご先祖様もいいけど、
まずは普通に看病してくれた人に感謝してもいいんだよ。例えばお母さんとかな。」


「え、あ。もちろん…。ママもありがとう。」

「よろしい。」


私はまだまだご先祖様になるまでには修行が足りないようだ。

この記事を書いた人

社会福祉士資格を保有。

高齢者分野の相談員として勤務しながら
制度や支援の現場に関わっています。

家族の病気体験を中心に、
当事者としての経験と、支援職としての視点の両方から
わかりやすく情報をお届けします。

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