本当の自分、本当のあなた

親と子のあいだの私(体験雑記)

祖母がなくなった時、お世話になっていた施設へ、母と一緒にご挨拶に行った。

施設長は、落ち着いた綺麗なお悔やみの言葉をくださったけれど、
横にいた若い職員は「残念です。とってもかわいいおばあちゃんで、職員にも人気だったんですよ」と話してくれた。

介護の学校では「高齢者には年長者としての尊敬の念を」「言葉遣いに気をつけて」と当然接遇面についての指導を受ける。

だから「かわいい」、は本来NGなのだけど、実際のところ介護の現場では人対人なので、好かれやすい利用者に親しみを込めて「かわいい」と表現することは良くある。
もちろんご家族に聞かせる言葉ではないんだけどね。

でも私はその言葉に強烈な違和感を覚えたわけです。
えっ?かわいい?うちのおばあちゃんが?って。


祖母とはずっと同居だった。祖父は早くに亡くなっていて私が生まれた時から祖母はひとり。
いつもきちっと小綺麗にしていて、几帳面で、お部屋も綺麗に片付いている。

わりとお嬢さん育ちだったみたいで、言葉遣いは綺麗だったけど、結構孫にもしつけが厳しくて口うるさいタイプだった。

かくしゃくとしていて、いただいた年金であちこちと旅行に行ったり、習い事をしたり、家庭菜園やお花を育てたり、充実した老後を過ごしていた。
読書家で、新聞も隅々読んでいて、夕食の時は社会情勢について話題にするような人だった。


勝手に子供部屋に入ってきて整理をしたり、ゴミ箱の中を見られたりして、喧嘩になったりもしたなぁ。一度喧嘩になると私のほうから謝るまで続いた。
意地っ張りで、面倒くさかった。

母は、祖母は威張っている、と思っていたらしい。
確かに、うちの家族はおばあちゃんファーストで。頂き物のお菓子も最初におばあちゃんが好きなのを選ぶ。そして毎日必ずおばあちゃんが1番風呂だった。

弟は、子供の頃、祖母のことを怖いと思っていたらしい。
確かにわからなくはない。下の子で甘く育てられていた弟にとっては、親より祖母のほうが厳しく感じただろうな。

凛然としたプライドを残したまま、緩やかに認知症が進んでいき、介護の導入にはなかなか手を焼いた。

可愛くない、ならわかるけど、かわいいなんて祖母には1番似合わない言葉。


でも、私が「祖母がかわいいわけないじゃないですか。本当の祖母は可愛くなんかないんです」と言ったところで、施設の職員さんに伝わるわけはないんだよね。

きっと職員さんが見ていたおばあちゃんは、小柄で、穏やかで、いつもありがとう、って円い笑顔で笑ってくれる「かわいいおばあちゃん」だったんだろうな。私も入所後その祖母に会った覚えがある。

どの時代の祖母も間違いなく彼女自身。
時間をかけて変わっていき、最後はかわいいおばあちゃんになったらしい。

うん。よかった。祖母はこの施設で、ちゃんと愛されていたんだな。
私は、職員さんからの言葉をそのままありがたく受け取ることにした。


しばらくは、仏壇の祖母と目があうたび「おばあちゃん、かわいいだってよ。プッ。」と思い出し笑いしながら話しかけてしまったけど。


介護の仕事に携わっていて時々思うことがある。

「本当のその人」って、一体なんだろう?

じゃあ本当の私ってなんだろう?
今の私の人格、母親として娘としてのアイデンティティ、好きなもの嫌いなもの、
いろんな要素が私を形作っている。

幼稚園の頃は活発で外交的だった。でも小学校の頃はひねくれていて暗かったな。
福祉の仕事についてからは、わりと職場ではしっかり者キャラでいる。

これからも、きっと形を変えるだろう。
でもきっとどの時点の私も私なんだろうな。

誰がどの断面を切り取っても、それが私なのだ。

身体的な病気や不慮の事故、加齢、認知症、家族、人間関係、離別、小さな成功や失敗でさえ、
その人を形作る要素に大きく影響している。



歳をとって変わる親の変化をなかなか受け入れられずに、「本当はこんな人じゃないんです」と嘆く方も見た。
自分が尊敬していた親が認知症でどんどん変わっていくのを目の当たりにするのは、辛いだろうなと思った。それは親が生きてきた証を守ろうとする子供の愛情でもあったし、諸行無常を受け入れられない執着でもある。

自分がなくなっていくのが怖くて心配と不安に飲み込まれそうな利用者も見た。
認知症の方にとって、頭がはっきりしている瞬間に突然襲ってくる恐怖がどれほどのものか、想像しただけで身がすくんだ。

認知症や脳の機能障がいが原因で、元々は穏やかだったがとても怒りやすい人格に変わってしまった人も見た。
人生の最後にたまたま泣き虫だったり、怒りっぽかったりするからって、本当のその人がそういう人、とは言えないよね。


「本当のその人」とは何なのか?

その問いには、きっと答えはないんだろうな。
その人自身も知らないし、家族も友人もケアワーカーも、誰もきっと知らない。

本当の自分、が何かもわからないし、

どんな自分で死ねるかもわからないのに、

自分の死後の世界では、きっと誰かが「あの人はこんな人だったね」なんていう話をしているかもしれないんだよね。

とっても不思議だな。

この記事を書いた人

社会福祉士資格を保有。

高齢者分野の相談員として勤務しながら
制度や支援の現場に関わっています。

家族の病気体験を中心に、
当事者としての経験と、支援職としての視点の両方から
わかりやすく情報をお届けします。

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