高齢者にとっての入浴
介護の現場では、お見送りのあとに、ご家族やスタッフの間でよく交わされる言葉があります。
「最後にお風呂、入れてあげられて良かったね」
あるいは、急変が重なり間に合わなかったとき、誰かがぽつりと言う。
「最後にお風呂、入れてあげたかったね……」
施設介護でも、在宅介護の現場でも、この言葉はいつも特別な重みを持って響きます。
日本人にとって、お風呂は「人生のご褒美」だった
今のご高齢者世代は、銭湯が社交場だった時代を生き、我が家にお風呂がやってきたことを家族で祝った世代です。彼らにとって入浴は、単なる「汚れを落とす作業」ではありませんでした。一日の苦労をリセットし、「ああ、極楽極楽」と魂を解放する、人生のささやかな、でも最高のご褒美だったのだそうです。
高齢になっていき、介護が必要な状態になると、在宅でも施設でも、毎日入浴できるというわけにはいきません。
全身浴が無理なら、洗面器一杯のお湯で部分浴を。
私たちも発熱時など体調が悪い時は無理に入浴しないと思いますが、高齢者も状態が安定していないと医療的に「入浴中止」の判断が下されます。
入浴は体力を相当消耗しますので、体温や血圧などのバイタルサインだけでなく、覚醒状態や痛みなど全身状態に配慮して慎重に入浴の可否を判断しています。
お見送りの近い方はなおさら、大半の方が体調面を考慮して入浴中止になります。
清潔を保つために体を拭いていても、1週間も2週間もお風呂に入れずベッドの上で寝たきりだったら、やっぱりさっぱりしたいな、と願うのが日本人の心ではないでしょうか。
お見送りが近くなってくると、体が旅立ちの準備を始めて、だんだん手先足先が冷たくなってきます。指先で酸素飽和度(サチュレーション)を測ろうとしても、血流が充分でなく測定できないこともままあります。
そんな時は、座れる方であれば足浴を、寝たままの姿勢であったら、洗面器に温かいお湯を張って手浴します。
私たちも、美容院で髪の毛をシャワーで流してもらう時、頭が温まっただけでも、全身がほっこりと緩んでいく感じがしますよね。
そんな風に、手浴足浴で末梢を温めて差し上げるだけでも、強張っていた筋肉が緩み、気持ち良さそうに呼吸や表情が緩む方がたくさんいらっしゃいます。
「何かしてあげられた」という記憶がお守りになる
在宅で旅立ちを待っている方も、施設でルールの中にいる方も。
医療的判断で「お風呂は無理」という局面でも、ぜひ「手浴や足浴だけでも」と相談してみてはいかがでしょうか。
• 施設の方なら:『洗面器での足浴なら、付き添いの時間に私たち家族がやってあげてもいいですか?』と聞いてみる
• 在宅の方なら:入浴剤一滴、アロマオイル一滴で、部屋の空気が穏やかに変わります
好きな石鹸やアロマの香りに包まれて、冷たくなり始めた手足をお湯で温めながら、「ありがとう」と伝える。
そのお湯の温かさは、見送った後にご家族を襲うかもしれない「何もしてあげられなかった」という後悔を、静かに溶かしてくれるように感じます。
亡くなる前に、生きている時間の質を
亡くなった後に、体を清める「湯灌(ゆかん)」という儀式があります。
私の祖母はお風呂好きでしたが、肺炎になり病院で亡くなりました。
生きているうちに入れなかった大好きなお風呂に、という父母の希望で、オプションで湯灌をお願いしました。
通夜の前に体を清め、死装束に着替えてラストメイクを施す。
自宅の和室に組み立て式の浴槽が持ち込まれて行います。
肌を見せないように完璧に配慮してくれて、手際の良さと手技、死者への敬意を体現してくれる葬儀屋さんの作法には感動しました。
葬儀屋さんがタオルから祖母の腕を少し出し、「ぜひご家族で洗ってあげてください」と言ってくださいました。大好きな祖母なのに、亡くなった体に触れるのはどこか怖くて緊張した事を覚えています。
父は最初に進み出て、「おばあちゃん、お風呂入れたね。よかったね。」と言いながら、背中越しに少し涙まじりの声を詰まらせていました。
できれば生きているうちに、お風呂に入れてあげたかったけど、と。
「最後にお風呂に入れてあげられた」「手を温めてあげられた」という記憶は、残された方の人生を、この先ずっと温め続けるお守りになると思います。
一筋の湯気と、洗面器一杯のお湯。
お湯の温かさと優しさを、本人に感じてもらえるのは、生きている今だけです。
そんなささやかな贈り物が、大切な方の最期に、そしてあなたの心に届くことを祈って。


