ICTに死角なし、でも人の手は2本しかない|介護現場の限界とジレンマ

制度解説

ICTに死角なし。でも、介護職員の手は2本しかない。

最近、他施設の相談員仲間と情報交換をしていて、全員が深く頷いた「共通の悩み」があります。
今の介護現場は、一昔前とは見違えるほどデジタル化が進んでいます。

私の現在の職場もそうです。スタッフの耳には常にインカムがあり、全居室のベッドには「眠りスキャン」などの見守りセンサー。共有スペースには監視カメラが回り、記録はすべてタブレットでLIFE(科学的介護)へ連動。

一見、ハイテクに守られた「安心・安全な施設」に見えるでしょう。

しかし、現場の最前線では、この「ICTの進化」が、皮肉にもスタッフを精神的に追い詰めるという、新たなジレンマを生み出しています。

「知っている」のに「行けない」という絶望

センサーは、利用者の異変をリアルタイムで教えてくれます。

しかし、ここで残酷な現実にぶつかります。
テクノロジーは進化しても、現場を走るスタッフの手は、今も昔も「一人につき2本」しかないのです。

全員が他の利用者のオムツ交換や、食事介助の真っ最中。

「行かなければいけない。でも、今この手を離したら目の前の方が転落してしまう」
アラートを、苦い思いで聞き流さざるを得ない瞬間。

かつて、ICT導入がなかった時代には「不可抗力の事故」として扱われていたかもしれないことが、今は「機械の通知で知っていたのに防げなかった失敗」という、重い罪悪感としてスタッフにのしかかる構造になっているのです。

監視カメラという「凶器」

さらに現場を疲弊させるのが、カメラの存在です。
施設内だけでなく、最近ではご家族が居室内に独自の監視カメラを設置されるケースも増えました。

ご家族にしてみれば「安心のため」でしょう。
しかし、事故が起きたとき、その映像は凶器のように機能してしまうことがあります。

「映像を見たら、母が立ち上がってから転倒するまで3分もありました。なぜ誰も行かなかったんですか?」
そう厳しく指摘するご家族の前に「申し訳ありません」と頭を下げながら、言葉を飲み込みます。

その3分間、スタッフは別の部屋で、別の利用者の転倒や急変に関わる対応をしていたのです。
ICTに死角はなくても、人間の体には物理的な限界があるのです。

ICTは「魔法の杖」ではない

ICTの導入によって、確かに「何が起きたか」の可視化は進みました。
しかし、それは「事故をゼロにする魔法」ではありません。

むしろ、膨大なアラートに追われることで、スタッフの心から「ゆとり」が奪われ、最も大切にすべき「目の前の方との対話」が削られていく。これでは本末転倒ではないでしょうか。

最初は志を持って介護の仕事についた職員が、アラートに追われるうちに、効率と安全だけを優先せざるをえなくなる姿を見ました。
利用者を笑顔にしたことは評価されず、カメラを駆使して細かく責任を追及される現実を見ました。疲弊し業界を去る職員が後を絶ちません。

10年後の未来へ願うこと

私は、このブログが10年後に読まれたとき、「昔はこんな理不尽なジレンマがあったんだね」と、古ぼけた笑い話になっていることを切に願っています。

ICTが「監視」や「証拠探し」の道具ではなく、スタッフが安心して「今、目の前の人に集中できる」ための、真の意味でのサポートツールになること。そして、社会やご家族が、テクノロジーの限界と現場の物理的な限界を、正しく理解してくれること。

「ICTからは死角なし。でも人間の手は2本。」

この矛盾を飲み込みながら、今日も私たちは現場に立っています。

この記事を書いた人

社会福祉士資格を保有。

高齢者分野の相談員として勤務しながら
制度や支援の現場に関わっています。

家族の病気体験を中心に、
当事者としての経験と、支援職としての視点の両方から
わかりやすく情報をお届けします。

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